学校概要
- 教育的環境
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この地域一帯は、遙か昔、すみれの里・横野が原と称され、縄文時代や弥生時代の貴重な遺跡が数多く発掘されています。古代より、自然や土に親しみ、自然に挑み、自然を恐れ敬い、自然の脅威にさらされながらも、土に根を張った人々の生活があったものと思われます。注連原遺跡、松原遺跡、天神原遺跡、大下原遺跡等、多くの遺跡からは、祭祀に使用する道具の製作跡や食糧保存のための跡などが発見され、新技術を開発し時代に先駆けた人々や、食糧生産に励みたくましく生きた人々の姿が忍ばれます。
また、校区には
▼紫之根延横野之春野庭 君乎懸管 鴬名雲 (万葉集巻十 1825春雑歌)
▼紫の根はう横野の壷すみれ 真袖に摘まん 色も睦まじ(新続古今和歌集巻二 藤原俊成卿)
▼すみれさく横野の茅花生いぬれば 思い思いに人通うなり(山家和歌集 西行法師)
などの古歌に歌われているように美しい自然が広がり、広々とした耕地にゴボウやコンニャク栽培などが盛んに行われています。最近では工場用地や住宅地として開発が進み、地域も様変わりしつつありますが、ほとんどはまだ豊かな耕地となっています。自然と向き合う人々の真摯な態度、仕事に必死で取り組む姿、助け合い進める作業など、農業が培った精神、良風は今も息づいており、三世代同居の家庭も多く、子供たちは純朴で飾らず、伸び伸びとしたよさを持っています。
- 本校の位置
- 本校の沿革
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明治
6年 第一大学区19番中学区 第71番小学区(中野谷学校)《1月》
第一大学区19番中学区 第70番小学区(鷺宮学校)
8年 第一大学区19番中学区 第69番小学区(間仁田学校)
13年 学区の称を廃し中野谷小学校、鷺宮学校、間仁田学校と称す。
23年 東横野尋常小学校第一分校中野谷、第二分校間仁田、東横野分教場となる。
41年 東横野尋常高等小学校、東分教場 西分教場となる。昭和
16年 東横野村国民学校となる。
22年 東横野村立東横野小学校となる。
52年 プール竣工
58年 新校舎完成
61年 給食室完成
62年 体育館完成平成
8年 低鉄棒・すべり台・砂場の新設、環境教育OZE大賞・PTA表彰受賞
11年 図工室新設
13年 PTA全国表彰受賞
15年 新規コンピュータ導入、校内LAN工事
17年 安中市学力向上推進校発表、新安中市誕生(3/18)
18年 安中市陸上記録会男子リレー優勝
23年 敷地内放射線量・給食用食材の放射性物質検査開始
放射線汚染土壌の除染容器設置、汚染土壌の除染実施
24年 校舎耐震補強・大規模改造の設計及び仮設校舎の設計
25年 校舎耐震補強された新校舎の完成
26年 体育館緞帳設置・一輪車設備整備・校庭植栽整備・給食室サラダ用冷蔵庫新設
27年 プロジェクター・スクリーン・書画カメラ(電子黒板機能)購入
学童クラブへの連絡用階段設置
28年 体育館天井工事
29年 体育館玄関屋上防水工事、普通教室エアコン設置
30年 群馬県小学校道徳教育研究大会発表令和
元年 プール改修工事